ここ最近、日本の調剤薬局で短期的に働いています。
派遣の薬剤師として働いていると、色々な薬局で色んな薬剤師と一緒に働くことがあり、それぞれ違って面白いと思うこともあります。
その一方で、逆に周りが私のする行為に対して驚きの目で見ることもあります。
それは疑義照会です。
何も特別なことはしていないのですが、薬局によっては普段からあまり疑義照会をする習慣がなく、ただ疑義照会をするという行為自体が珍しくなっているのです。
少し不思議に思ったので、今回カナダとは関係ないですが書いてみることにしました。
良くみるタイプの疑義照会はこのタイプです。
薬剤師A: あれ? ●●●の1回量が多い。添付文書では1Tまでを限度とすると書いてあるな。もしかしたら、先生が色々考えて、この量にしたんだな、そうだな。そうに違いない。うん、大丈夫だな。わかって処方していると思う。問題ない。調剤しよう。
ここには薬学的なThought Processは全く存在しない。あるのは、疑義照会をしない言い訳を探していた子供である。
疑義照会はおかしいと疑うからこそ患者に薬が渡る前にするものであり、疑いがないから調剤をするものである。つまり、調剤した=私が薬剤師として、この薬を妥当だと考えた、のである。
もちろん、これは薬剤師法第24条に違反します。
大学を卒業して病院薬剤師をしていた時、私はこれに気づき始めました。
多くの薬剤師は疑義照会をせずに自己完結させる。
少しおかしいと思っても、疑義をせずに、この薬が正しいものだという願望を持って、調剤をする。医師がやっているのだ、正しいだろう、何か理由があると自分に暗示をかけるのだ。
少しおかしいと思っているのに流してやっていると、流す自分が普通になってくる。
疑義照会をしないことが当たり前になってくる。
これは正直、怖いと思います。
疑義をしない薬剤師は、薬学的な介入をあきらめてしまっているということになります。
つまり、一人の薬剤師として、その薬物療法を評価することを放棄してしまっているのです。
この時点で、薬剤師では無く、ただの人であり、薬局の事務やアシスタントが薬を袋詰めすることと全く変わりありません。
疑義照会ができない理由には、環境要因や能力要因など多くの理由があると思うが、私が考える2つの要因は2つです。
一つ目は、プロ意識の不足。これまでも散々いっていますが、日本の薬剤師に圧倒的に不足しているのは、薬物療法は自分が全て責任をもつという強い意識が必要であり、効果や副作用、アドヒアランスまで全ての事に自分次第だと思えるような意識改革が重要です。目の前の患者は、誰かの家族、誰かの大切な人です。そう思えば、いい加減な処方ではいけない。心配なら必ず疑義しようと思うハズです。
二つ目に、勉強不足。医療の世界の治療は刻一刻と変わり、常に勉強しても追いつかないと思っています。比較的、勉強している自分でもそう思うのに、勉強していない薬剤師達が勉強しなくていいハズがありません。常に最新の治療を知り、自分なりの考えを持つこと、徹底的な勉強が必要です。
急にこれらの事を身につけるのも難しいと思うので、まずは不格好でもいいので、とりあえず聞いてみることをオススメします。
本当は、その処方箋の中の、1) 何が問題なのか (どのくらい影響があるのか) 2) どのように解決するのか ( 正しい処方内容の提案) を考えた上で、疑義照会をするべきですが、まずは疑義照会をするという行為が非常に重要だと思います。
日本で薬剤師として働くとしても、常にその処方が妥当かどうか、自分ならどうするかを念頭に仕事をしていけたらと思います。